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第14回
「やっと中学校に上がれそうです」

ゲスト/北之口 太 さん
著作/『一撃の拳 松井章圭』(講談社)


今回のゲストは、ノンフィクションライターとしてご活躍中の北之口太さんです。
とある編集プロダクションの方からご紹介いただいたときには、スポーツライターだとばかり思っていました。
ところが、実際にお会いしてびっくり。ジャーナリストの視線とセンスを持つ、硬派のノンフィクションライター。膨大な読書から培われた知性、足と汗で育てた人脈による情報収集力を武器に、社会の表層と深層を浮きつ潜りつしながら独自の取材を続けておられます。
次作の取材でお忙しいさなか、無理に時間を作ってインタビューに応じていただきました。

※写真は筆者撮影。



〈その1〉 文章なんて、それまで書いたことがなかった

Web Publishing AZUSA(以下、――)『一撃の拳 松井章圭』のカバー写真をじっくり見ていて気がついたんですが、空手着の襟のすり切れ具合がいいですなあ。ストイックな求道者という雰囲気です。

北之口 あれは、松井章圭さんが世界大会で優勝したときの空手着なんですよ。最初、撮影には真新しい空手着で臨んでもらったんですが、どうも色のイメージが違うので、着替えてもらいました。

 ――発売と同時にたちまち残部僅少。すぐに増刷がかかりましたが、まだ手に入りにくいそうですよ。何部刷ったんですか。

北之口 初版5000部、増刷で2000部。


書名/『一撃の拳 松井章圭』
価格/1800円(税別)
ISBN/4062127423
発行/講談社(→ 概要ページへ)


 ――北之口さんのほうから版元にもっと刷るように言っていただけませんか。

北之口 著者の私が言うのも厚かましいかな……と。

 ――そんなことありませんて。読みたい人がずいぶんいらっしゃるんだから。

北之口 そうですね。一人でも多くの読者に読んでいただきたいと思いながらも、最初の本だけに、ある種の面映ゆさもあります。版元に掛け合うのは、なんだか親ばかみたいな気がして……。わかりました、編集者にちゃんと言っておきます。

 ――お願いします。ところで、最初の本とおっしゃいましたが、1992年にアドリブから『BOXER 世界戦に敗れた者たちの第二ラウンド PART1』を上梓しているのでは?

北之口 あれは共著なので、「私の本」とは言い切るのはちょっと。

 ――なるほど。たしか、ライターデビューもボクシング関連でしたよね。

北之口 というか、取り上げた題材がボクサーだったんです。『月刊 潮』の「勝つ定石」という連載記事にレパード玉熊のことを書きました。原稿書きなんて初めてだったから、たった4枚半に四苦八苦したことだけおぼえています。

 ――え? ライター志望じゃなかったんですか。

北之口 考えたこともありませんでした。行きつけの店で、ある写真家と知り合いまして、湾岸戦争のことについて持論をしゃべっていたら、「きみはきっと文章が書けるぞ」と言われたんです。「文章の仕事があったら、きみを紹介するから」というわけで、「勝つ定石」です。

 ――その写真家と知り合わなければ、ライターの道には進んでいなかった。

北之口 いなかったでしょうねえ。その頃は食うのと読むのと飲むのに精一杯で、どんな仕事もいとわずやっていました。今でもその延長線をずっと歩いていたかもしれない。

 ――まったく書いたことがなかったんですか。

北之口 ええ。年賀状すら億劫で。

 ――読書は?

北之口 19歳からですね。それまでは、郷里の鹿児島で好き放題やってましたよ。高校をクビになったり、ふらりと旅に出たり。
 あてもなく上京してからです。ふと本でも読んでみるか、と思ったのは。日本の小説には難解なレトリックがあるような気がしていたので、最初は翻訳ものを。

 ――書名は?

北之口 まあ、いいじゃないですか。

 ――教えてくださいよ。ノンフィクションライター北之口太の出発点となった書は?

北之口 ゲーテの『若きウエルテルの悩み』。かあーっ、なんだかなあ。

 ――世界文学史上最高の傑作といわれている作品でしょう。恥ずかしがることなんてありませんよ。で、それから?

北之口 あらゆる本を読みあさりました。もちろん、日本の文学も。佐藤春夫の『田園の憂鬱』を読んでいて、ほろっときたんです。すぐあとで登場人物も同じ風景を見て涙ぐんでいる。小説を読む醍醐味というものを実感した瞬間でもあります。


〈その2〉 大きなポカもやりました。男泣きの修業時代

 ――なぜ、ボクサーを題材にしたんですか。

北之口 ボクシングが好きだったし、それしか書けないと思ったからです。実はその前年、後楽園ホールに通い詰めていました。女性ボクシング記者第一号の松永喜久(まつながきく)さんの知己を得ていたので、ボクシングの見どころなどもよく教えていただきました。
 1997年ですから、松永さん75歳。現役の記者でした。デビューしたての畑山隆則選手、坂本博之選手のリングもこのときに見たんですよ。
 私がもっとも好きな世界チャンピオン、ロベルト・デュランに引き合わせてもらったときには鳥肌がたちました。おまけに握手まで……。

 ――遠い目になってますけど、続きをお願いします。原稿書きの経験はなかったけれど、ノンフィクションライターの目というか感覚はすでにそのときに育まれていたというわけですね。

北之口 さあ、どうだか。とにかく好きだった。好きなものなら何とか書けるだろうという考えしかありませんでしたね。

 ――それからはノンフィクションライターひと筋ですか。

北之口 北之口太という名は少しずつ知られるようになったけれど、とうてい筆一本で食ってはいけません。他の仕事で生活費を稼ぎながら取材・執筆を続けていました。
 振り返ってみると、あれは修業時代でしたね。ギャラをいただきながら訓練をしていたというか。
 いろんな仕事をいただきましたが、『サンデー毎日』の連載ルポ「語り出す肖像」にかかわったときに、人物ルポ一本で行こうと思いました。ボクシングを題材にしていたときも、結局はボクサーという人物にスポットライト当てていたんです。知らず知らずに人物ルポの修練を重ねていたのでしょうね。

 ――専業でいけるようになったのは、いつからですか。

北之口 『Views』(編集部註:講談社・1997年廃刊)、『AERA』の「現代の肖像」などの仕事をいただくようになってからかな。萩本欽一さん、山崎努さん、桂文珍さん、花田春兆さんなど、強烈な個性を持つ方を取材しました。
「現代の肖像」は10本ほど書きましたが、最初は編集者の朱が結構入ったものです。当然ですけど。次第にそれもなくなり、文字数の調整程度に落ち着いたときに、やや自信めいたものが生まれてきたように思います。

 ――着実にステップアップしていかれたようですね。

北之口 大きなポカもいくつかやりましたよ。

 ――差し障りのない範囲で、ぜひ!

北之口 ある紀行文のオファーがあり、二つ返事で引き受けました。模索していた時代だったので、旅のルポは魅力的でねえ。ところが、その記事は旅行社とのタイアップで、観光案内程度のものでよかったんです。それを知らずにシブいルポに仕上げてしまったものだから――。

 ――ボツ?

北之口 いいえ。1年間の連載でしたが、同じ調子で書かせてもらいました。上のほうからはクレームがついていたらしいんですが、編集者が身を張って守ってくれたんです。そういう事情をあとになって知り、男泣きですよ。
 その編集者は、「北之口さん、うまくなっちゃだめだよ」と笑いながら言ってくれました。小さくまとまらせないために頑張ってくれた、その気持は一生忘れません。

 ――ええ話や。

北之口 もうひとつが、原稿をオトしたこと。

 ――誌面に穴をあけちゃったんですか。

北之口 取材対象者から「原稿のチェックをさせてくださいね」という申し出があったのですが、ある箇所が削除されるのはわかっていました。しかし、そこを取ってしまえばルポのひとつの柱がなくなってしまう。ずるずると悩んでいるうちに締切を迎え、取材対象のチェックなしで入稿しました。表現者の欲のせいで取材対象者に不利益をこうむらせていいのか、とずっと悩みながら。
 ぎりぎりになって、やはり原稿を引き上げました。

 ――うわっ。

北之口 他のライターの準備稿があったおかげで誌面に穴だけはあきませんでしたが、もうライターとしての未来はないということは覚悟しました。駆け出しのライターが著名な雑誌の名物ルポでこの不始末ですからね。
 その後、編集長よりさらに上のポジションの方から電話をいただきました。「永久追放!」という言葉を甘受しようと腹をくくっていたのですが、「こういう出来事のあとなので、すぐに仕事をお願いするわけにはいきませんが、この、今の気持を持ちつづけてください」とおっしゃってくださった。またまた男泣き。

 ――まさしく、漢(おとこ)ですな。その頃からはさすがに専業でしょう。

北之口 身分からいえばフリーランスですが、編集プロダクションに所属していたこともあります。とにかくオファーのペースが不安定ですからね。単身で営業も取材も執筆もというのは、駆け出しの身には……。

 ――『BOXER 世界戦に敗れた者たちの第二ラウンド PART1』はその頃?

北之口 200枚という長いものが書けるチャンスだったし、ボクシングだったし、書かない手はない、と。「天龍数典・用皆政弘」編を担当しました。
 その後、松永喜久さんの自伝をプロデュースし、1992年に河出書房新社から『リングサイド・マザー 私とボクシングの半世紀』という書名で出版されました。
 この作品で松永さんは同年の「ミズノスポーツライター賞」を受賞されました。後楽園ホールの1年間で受けたご恩の万分の一ほどはお返しできたのではないかと思っています。


〈その3〉 カンバック

 ――それからは順調だったんですか。

北之口 誌面に穴をあけそうになった雑誌から仕事がいただくようになったりもしましたし、少しずつ仕事の幅が広がってゆきました。
 1995年以降の4年間は走りつづけましたね。阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件が相次いで起こりましたから。

 ――時間をかけて追いつづけ、検証しなければ見えないものがありますよね。

北之口 大きな仕事が一段落したのが1999年です。急に立ち止まったせいでしょうか、倦怠感に襲われてしまってねえ。やる気がみるみる失せていったんですよ。「明日のジョー」の矢吹丈状態とでも言いますか……。

 ――バーンアウトシンドロームというやつですね。43歳。これからってときに。

北之口 そんな私に、ある方から「極真会館二代目館長の評伝を書いてみないか」という話があったんです。これは単行本になるな、とピンときました。
 魔が差す、のはこういうときなんですね。本でも出しておいたほうが今後の「営業」にプラスになるんじゃないかと考えてしまったんですよ。どうせ宛行扶持(あてがいぶち)の仕事だし、先方が用意する資料を読み込んで、不明点を二代目館長にインタビューするくらいでOKだろう、と。

 ――お、ダークサイドに真っ逆さま。

北之口 まさにそんな感じ。引き受ける旨を伝えたら、すぐに松井館長に引き合わされました。話してみると真摯な方で、団体運営への真剣な思いがストレートに伝わってきました。人物でしたね。まっとうな仕事をしなくちゃ、という思いだけがふくらみました。しかし、期待されることがこれほどプレッシャーになるとは……。意欲を失いかけた私にはつらかった。

 ――出来が悪ければ、一撃の拳が飛んでくるかも?

北之口 まさか。自分のエンジンがなかなかかからないことに苛立つんです。出来以前の問題で、このままでは書けないとさえ思って、悶々としました。大酒を飲んでみたり、座禅を組んでみたり、ひたすら体を動かしてみたり……。しかし、どれも効果なし。
 まずは出版ありき、という「欲」にかなり蝕まれていたんでしょう。ライターしての情熱や矜持というものは、もう残骸でしかなかったんですね。愕然としました。そして、もう後がないことに気づき、何度も恐慌をきたしそうになりました。
 残骸を復元するのは不可能なんですよ。一から積み上げたほうがどれだけ速いか。だから、すべてチャラにしました。

 ――いわゆるリセット、ですか?

北之口 かもしれないし、リハビリとも言えるかもしれない。初めてのパソコンを買ったのも、このときです。これまで頑なに手書きできたんですが、それも改めるつもりで。構想と資料収集に2年間が与えられていましたから、その間に入力ができるように訓練しようと思ったんです。

 ――仕切直しなんてもんじゃないですね。

北之口 約200冊もの資料を読み込んでいくうちに、極真会館の歴史を作ってきた人物たちにも心が動かされました。強烈な個性とパワーを持つ方が綺羅星のごとくおられる。存命の方もたくさんいらっしゃるので、じかに取材が出来るわけですよ。これは大きな魅力でした。
 松井館長が階段をのぼりつめてゆく過程と初代館長・大山倍達が団体を育て上げてゆく過程を交互に描き、二代目館長指名というところで、その二つのラインが交叉するという構成がはっきりと見えたとき、迷いも悩みもプレッシャーも嘘のように消えました。
 関係者の肉声をとらえるために、それからは全国行脚ですよ。

 ――完全にリセットできたんですね。

北之口 これ以上ないくらいのカンバックです。


〈その4〉 パソコンとキャッチボールと

 ――執筆にはどれくらい費やしたんですか。

北之口 1年間です。パソコンにはずいぶん助けられました。こんなに便利なものだったら早く始めておけばよかったと後悔したほど。カット&ペーストは物書きになくてはならない機能ですよ。
 フリーズで400枚ほどの原稿を飛ばしてしまったこともありますが、手書きで書き直していた時代を思えば苦にもなりませんよ。

 ――はい、ここまでで3年。ということは、2002年に初稿が上がったわけですね。それなのに、なぜ出版が2005年4月になったんですか。

北之口 初稿というのは、このケースでは叩き台でしかなかったんです。松井館長とのキャッチボールに3年費やしました。巨大な団体のトップに立つ方ですから、オフィシャルな発言にはつねに気をつかわなくてはならない。だから、資料やインタビューからではなかなか本人の内側が見えてこなかったんです。
 あるときはファクスで、あるときは面会して、こまかなやりとりをするうちに、館長・松井の後ろから人間・松井が立ち現れる瞬間がある。これを掴まなくては人物ルポは失格です。この3年間がなければ、詳細な履歴書程度のものにしかならなかったでしょうね。

 ――3年間の間にも組織はどんどん変わっていくんじゃないですか。修正が大変だったんじゃないですか。

北之口 大筋は変えようがないように構成していましたから、枝葉の部分の変更にとどまりました。ここでもパソコンは大いに役立ってくれました。

 ――しかし、3年間のキャッチボールでも完全にはわからない部分があるんでしょ?

北之口 人間心理とかね。そういった謎の部分の処理には、4つのやり方があるんです。
 その1、権威の解説を引用する。
 その2、筆者の体験をもとに憶測する。
 その3、周辺取材で外堀を埋めて、もっとも可能性の高い推測を述べる。
 その4、謎は謎のまま置いておく。

 ――北之口さんの手法は?

北之口 謎のまま放置。

 ――そんな!

北之口 強引で不確かな結論は出さざるべしということです。書かないことで書く。行間にゆだねることにしました。
 行き着くところはノンフィクションもフィクションも同じではないかと思うんですよ。最後には、どうしても解決しえないものが残る。真実はそこにあるのだけれど、書き手が踏み込むことはできない。だって、書き手にすらわからないのですから。あとは、読者に判断なり想像なりしていただきます。

 ――たしかに、作者の中で結論が出ていることを物語にされてもおもしろくはないですよね。
 ところで、この6年間は、北之口さんにとって何でしたか。

北之口 小学校ですね。6年かかって、どうにか卒業しました。やっとノンフィクションライターとして中学校に上がれそうです。次も長いものに挑戦します。

 ――題材は?

北之口 ある団体とでも言っておきましょう。先入観だけで誰も手をつけたがらない組織なんですが、私はまっすぐに見てみたいんです。

 ――次作が中学入学ということなら、3年ほどかかるんですか。

北之口 そんなにはかかりませんよ。お約束します。


〈その5〉 大東流合気武術とは

 ――それを聞いてほっとしました。期待してます。
 ところで、これは個人的な好奇心なんですが、『一撃の拳』に大東流気合武術(だいとうりゅうきあいぶじゅつ)のくだりが出てきますよね。あれは、どんなものなんですか。合気道の一派じゃなさそうだし……。

北之口 護身術の合気道ではありません。私も含めて、門外漢にとっては「不思議な力」としか言えませんね。五段ほどになれば、相手のジャケットの裾をさわっただけで投げ飛ばすことができるんです。

 ――肉体に触れなくても?

北之口 ええ。技というよりも「術」と言ったほうが適切かな。最初は私も眉唾でしたが、取材の時にまんまと投げ飛ばされました。宙を舞っているときの爽快感は、格闘技とは異質のものでしたよ。松井館長は現在二段ですが、上位の段を持っている人にはかなわない。
 いま、「術」と言いましたが、それを実感したのは、本人が関わらなくても発動するのを見たからです。

 ――よくわかりません。

北之口 極真会館の師範に、松井館長の正拳突きを受けてもびくともしない方がいるんですが、大東流合気武術の方が松井館長に気を入れると、簡単に吹っ飛ぶようになります。この謎は、すぐには解明できないでしょう。

 ――もっと知りたくなってきました。北之口さん、お書きになってみては?

北之口 許可は得ているんですよ。大東流気合武術の本家本元から、「書くのであれば、ぜひ北之口さんに」と。

 ――ぜひぜひ!

北之口 『一撃の拳』に引き続き大東流気合武術では、格闘技専門ライターという色がついてしまうので、ワンクッション置かせてください。それでなくとも、ボクサーを多く取り上げてきたものですから。あ!

 ――どうしたんですか。

北之口 インタビューをお受けしていて始めて気づきました。ライターとしての節目というか苦境というか、そういうときに私はボクサーを書いてきたんですね。ボクシングに助けられてきたんだなあ。

 ――あ、また遠い目に……。
 本日は長時間にわたってお話しいただき、ありがとうございました。ご活躍に期待しています。

北之口 こちらこそ、ありがとうございました。


渾身の一作。よろしく!




“義”の人、北之口さんは、なんとインタビュー後にわざわざ時間をあけ、「日本一の居酒屋」(本人談)にご招待してくださいました。こちらが場をもうけねばならない立場なのに!

ここには書けないヤバいネタをまじえながら談論風発。眉間に皺を寄せて鋭い視線で宙をにらんだかと思うと、次の瞬間には一気に相好をくずす北之口さんは、やんちゃざかりの子供のようにも見えました。この気取りのなさが、取材対象の心をつかむ秘密なのでしょう。

Web Publishing AZUSAは、これからも北之口さんを追いかけます。


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