●2012年10月


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石のあとさき 10月25日


 痛みで目が覚めるという経験は、生まれて初めて。
 明け方、右下腹部に鈍痛があり、これが1時間ほどして疼痛になり、さらに1時間で激痛へ。家人を起こしてはならないと思いつつもじっとしていられず、居間や廊下を、からだをくねくねさせながら歩き回ってしまうほどの痛みなんですよ。
 3時間ほど経ったころでしょうか。痛みは急速に去りました。
 陳腐な表現ですが、「幕が落ちるような」という感じ。

 近所の総合病院の受け付けが始まるまで、あと30分。その間この凪が続きますように、と祈りました。もう『プラトーン』のラスト状態。ほっとけば五体投地礼もやりそうな勢いでした。
 診断は、尿路結石でした。幸いなことに、診察に行く前に自宅のトイレで石のようなものが出たので見当はついていましたが、医者には内緒。この際にと思って、検査をしっかりやってもらいました。
 痛みがぶり返すことはなく、鎮痛剤を処方してもらったのですが、手つかずで残っています。

 知人に話すと、どれくらい痛かったか聞かれるのですが、具体的に答えられないんですね。「難産に匹敵する痛み」と言われているようですが、これとて、難産どころか出産経験もない私が真顔で言ったところで説得力ゼロ。
 では、文章で伝えられるかというと、「ものすごく痛かった」としか書けません。視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の記憶は文学的に生き生きと書き表せるというのに、痛みの思い出を他人に伝えるのはとても難しい、というか、ほとんど不可能。
 しかし、説明ではなく描写ならうまく表現できそうですよ。
 直喩、隠喩を駆使してそのものを説明するのではなく、その前後を描写する。

 痛みが始まり、徐々に強まっていく状況。不安。
 そして、痛みが治まったあとの状況。安心感と振り返り。
 体重が何キロ減ったなどの情報も、読者の想像力をかきたてます。

 露骨に説明するばかりが能じゃありませんな。
 秘すれば花、というのもまだまだ有効なテクニックだと思います。
 いや、なんでもオープンにしてしまわずにはすまない現代にあって、「あえて描かない」ことも大切ではないかと、待合室で考えておりました。
 それにしても、初診患者は待たされること。健康がいちばん、という平凡かつ絶対の真理を痛感した一日でした。





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