●2007年11月


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さらば、FD 11月30日


 まっさらのノートというのは、いつ見てもいいものです。天・地・小口の鮮やかさは白無垢を連想させてくれます。それが束になっていれば、もうくらくらしてしまいそう。あとは書くだけだおれは書きまくるぞペンはどこだ! と意気込んでしまったりする時間が楽しい。

 一次記録媒体が紙から電子へと移行してしまった今でも、文具店ではノートのコーナーで足をとめてしまいます。
 あ、ここでいう一次記録媒体とは、ノートやフロッピーディスクのように、まず最初に文章を記録する媒体のことですね。勝手に私がそう呼んでいるだけで、一般的な呼称はわかりませんけど。

 同じ一次記録媒体といっても、ノートとフロッピーに対するイメージはまったく異なります。
 まっさらのフロッピーディスクが山と積んであっても、くらくらなんてしないし、あとは打つだけだおれは打ちまくるぞキーボードはどこだ! なんて我を失ったりもしません。
 これは、紙と磁性体という違いによるものではなく、記録容量によるものだと思います。

 ノート一冊に書ける文字なんてたかが知れてますが、3.5インチフロッピー2HDともなると1.44MBも余裕があるんです。
 ギガとかテラとかいう時代にあって1.44MBなんて、吹けば飛ぶようなようなものだと思われがちですが、2バイト文字のプレーンテキストなら何と70万字が記録できる。400字詰原稿用紙に換算すると、改行無し、空白行無し、すべのマス目に字を書いて1750枚。原稿用紙400枚ぶんの長篇小説が4冊以上入る計算ですな。どんだけー!? ってなもんです。
 小さなフロッピー1枚にフルに書き込むのに何年かかるのだろうと考えると気が滅入ったものです。

 しかし、それはワープロ専用機全盛時代の話。このPC時代、そんなナイーブな心ではやっていけません。
 上記のように、ハードディスクがテラの領域に入りつつある今、一生ぶんどころか9回生まれ変わって書きつづけてもハードディスクをいっぱいにすることはできますまい。ノートとの対比などという無駄な観念はあっさり捨て、ハードディスクをむちゃくちゃ広いホワイトボードに見立てて、書いては消ししています。

 時代の遺物という観のあるフロッピーディスクですが、ちょっとしたテキストファイルのバックアップファイルを持ち歩くときなどには重宝するので、今でも繰り返し使っています。
 しかし、それもいつまでつづけられるかはわかりません。USBフラッシュのほうが使い勝手がいいし、フロッピーディスクドライブを持たないPCも多くなってきているから、互換性も取れなくなってきている。早晩消え去る運命でしょう。
 記録媒体は、帯(テープ)→皿(ディスク)→石(メモリーチップ)の順序で進化するということを実感します。
 今年いっぱいで、フロッピーディスクにはねぎらいの言葉をかけつつ、お別れしますかな。

 フロッピーディスクが役目を終え退いてしまっても、WORDなどのアプリケーションのツールバー「保存」の図柄は3インチフロッピーでありつづけるだろうし、PCのドライブレターは、Bに引き続きAも空位になってしまうのだろう。時代の先端を走っているはずのソフトやハードが、時代遅れのメディアの図柄を使わざるをえないというのも、おもしろい話です。



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