●2006年6月


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ピラルクのウロコ 6月19日


 10年ほど前、同業の大先輩から百冊ほどの文庫本をいただいたことがあります。第二子が誕生しマンションが手狭になったから読むなり処分するなり好きにしてくれ、というお話。読み巧者の先輩の本ならはずれはないだろうというスケベ心も働いて、二つ返事で送ってもらいしました。

 すべて翻訳物の小説で、これまで食指が動かなかった作家の作品ばかり。読み終えるのに1年ちかくかかりましたが、受け身の読書ながらどの作品もおもしろく、得がたい経験でした。しかし、問題は、読み終えた本をどうするかということ。自分で買った本ならともかく、厚意で頂戴したものを古本屋でカネに換えるのには抵抗があり、図書館に寄贈することを考えついたのですが、決心がつかず、ぐずぐずしていました。

 数年後、引越をすることになり、いよいよ図書館行き決定です。たまたま先輩と話す機会があったので、寄贈の件を打ち明けたところ、

「きみにやったんやから、どないしてくれようとかまへんよ」と、やわらかい京言葉でおっしゃいました。「あのとき、蔵書を整理しながらぱらぱらっと見てみたんやけど、ぜんぜん覚えてへんもんやねえ。もちろん、ストーリーの大枠は覚えてるよ、しかし、セリフやら文体やらはまるっきし。読んだはずやのに、わくわくしたはずやのにねえ。かというて、再読するかといえば、それはないわ。それやったら、蔵書とは何なんや、と。消費するだけのもんをとっとくのはあほらしいんちゃうかな思たんや。きみ、マンションに引っ越すんやったら、本との付き合い方を見直す、ええ機会やで。捨てる暮らし――それがマンション暮らしのコツなんやなあ」

 捨てる暮らし。言い替えれば、持たざる暮らし。年中、目から鱗を落としている私ですが、このときはピラルク並みの鱗がボロッ、チャリーン。
 再読するか否かが、蔵書の判断基準になったのは申すまでもありますまい。

 雑誌類は東京の専門店に引き取ってもらい、書籍の7割は市の図書館に寄贈。以来、資料になりそうにない書籍類は、読み終えるそばから図書館行きですよ。後悔することがあるかも、と一抹の不安があったのですが、捨てる暮らしを始めて7年、しまったと思ったことは一度もありません。

 考えてみると、消費するだけの本が、いかに多いかということですな。繰り返して鑑賞できるものが少ないと言いますかね。まあ、娯楽というのはそういうものでしょう。消費されるだけで、めっけもの。後世に残るかどうかは、神のみぞ知る。

 書き手は、今しか書けないものを書き、読み手は、今しかおもしろがれないものを読む。景気もよくなってきたことだし、ご陽気にお気楽に文藝が楽しめるようになってきましたよ。そこから、読み継がれる作品が生まれましょうし、爆発的に売れて忘れられるだけの作品も現われるでしょう。消費こそが、次の文藝界の揺籃になるのではないかと思います。

 さあ、きょうは本屋にでも寄り道しようかなっと。




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