●2005年6月


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きしめん慕情 6月21日


 名古屋に行ってきました。

 博覧会でも名古屋コーチンでもなく、目的はただひとつ、『博物館 明治村』。
 犬山市近郊の広大な敷地に、明治時代を代表する建造物67物件を順次移築し、関連の展示物とともに往時の空気を再現するという、志の感じられる文化事業の現在を見たかったのです。

 開館と同時に村内を歩き、閉館時間までにすべての建造物を見ました。フランク・ロイド・ライト、片山東熊、山下啓次郎などなど、錚々たる建築家の仕事には圧倒されました。同時に、建築探偵・藤森照信氏が朝鮮総督府の撤去について記した一文を思い出していました。

「その国が自信を持った時、歴史的にはマイナスの意味を帯びるが作品としては優れた建築を、はじめて自分のものとすることが可能になるのではないか」(『建築探偵奇想天外』朝日文庫刊)

 明治村の建造物は歴史的にマイナスの意味を帯びてはいませんが、お雇い外人の設計によるもの多く、「わが国の宝」なんて手放しに喜ぶのは無邪気すぎるような気がしていたのです。しかし、いやいや、やっぱり立派! これらが現存することが心から誇らしく思えました。
 造ったご先祖さまも偉ければ、移築してまで残した人々も偉大です。

 こういう感慨をおぼえたあとでも、やっておかなくてはならないのがスーパー視察。「超視察」というわけではなく、スーパーマーケットの棚割視察の略です。もちろん仕事がらみでも何でもありませんよ。俗っぽい興味、好奇心のたぐいです。
 国内外、どこに赴こうともこれだけは欠かせません。当地の食い物事情を知るにはスーパーや市場に行くのがいちばんです。「ハラル」の表記をはじめて見たのはバンコクでしたし、ラップに包まれた烏骨鶏が鶏肉売場で売れ残っているのを目撃したのは台北でした。
 こういう極端な例も楽しいのですが、やはりなんといっても食文化というか食習慣の微妙な違いがわかるのは国内ならでは。同じ通貨ですから、割安か割高かもすぐわかる。

 で、犬山市の大きなスーパーを視察してきましたよ。
 八丁味噌の種類の多さ、総菜コーナーに味噌カツや天むすがラインナップされているあたりは予想の範囲内でした。
 そして意外だったのが、きしめんの少なさ。麺類コーナーの半分以上を、ゆで、生、乾しのきしめんが占めているものとばかり思っていたのですが……。

「ここじゃうどんもそばも肩身が狭いよな」などと、苦笑を浮かべながらコーナーにさしかかったわたしの目に飛び込んできたのは、うどんとそばがひしめきあうさまでした。なるほど、きしめんだけは別コーナーなのださすがだ、と思って探してもそんなものはありません。
 よくよく見ると、わずか一種類のゆできしめんが、うどんとそばの端っこに陳列されているだけではありませんか!

 その後、名古屋市内に向かったのですが、うどん屋やそば屋はあっても、きしめん屋というものはほとんどない。名古屋駅構内に一店あるのみ。新幹線のホームに立ち食いきしめんがあるほどだから、市内はかくやという思い込みはまったくの見当違いだったのです。

 先入観というものは目を曇らせるもの。現地に行かなくては見えてこないものがあることを痛感した旅でした。

 しかし、なぜ、きしめんは廃れがちなのか?
 その理由を解明するため、わたしはまた名古屋に行かねばならぬ。
 食いそこねたひつまぶしに悔いが残っているからでは断じてありませんよ、念のため。





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