●2004年8月


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●急いで口で吸え● 8月7日


 山歩きしているとき、パートナーが毒蛇に咬まれたとしましょう。周囲には誰もいません。リュックの中にあるのは、水、弁当、携帯電話、タオル、ナイフ、レジャーシート。さあ、どうする?
手順としては、
 1.静かに寝かせる。
 2.タオルを縦に裂き、患部から心臓寄りの部分を固く縛る。
 3.携帯電話で救助を呼ぶ。

 ここまでは常識の範囲ですね。さて、問題はこれから。
 救助が来るまで、あなたは不安で不安でたまらない。座して助けを待つだけでいいのか、いま、できることはないのか? と考えるはずです。ヘビに咬まれるようなドジなやつは置いていく、という選択肢はまずありません。
 ふと、小説で読んだり、映画やドラマで見た献身的な光景が脳裏に去来するはずです。
「毒ヘビに咬まれたら、ナイフで傷口を切り裂き急いで口で吸え」
 幸い、ナイフは手許にあります。切れ味はわるそうですが、皮膚くらいは楽勝でしょう。
 小説ないし映画の主人公たちが機転をきかせたおかげで、必ずパートナーたちは命をとりとめてきたじゃありませんか。自分にできないはずはない。あなたは悲壮な決意を胸に、リュックからナイフを取り出します。

 ちょっとお待ちなさい!

 あながちわるい思いつきではないのですが、もしあなたが虫歯、歯周病、口内炎のいずれかを患っていたら、その決意は命取り。吸った毒が、そこから体内に入る可能性はものすごく高い。みずから二次災害を引き起こしているようなものです。
「だって小説で読んだんだもん」「映画ではいつもそうして……」といまわのきわにつぶやいたところで、誰が責任をとってくれるわけではありません。作り物を信じた間抜けが一人というのが世間の意見でしょうな。

 これは、人の生き死にの問題ですが、同時に、物語の生き死にの問題にもそのまま通じます。
 どこが一緒なんだよ、と性急に問いただそうとする作家のあなたにこそ聞いていただきたい。

 オンライン小説を読んでいて、こんな物語に出くわしました。

 ●インターポルの捜査官が他国に飛び、お尋ね者を追い、逮捕する。
  →インターポルに捜査権はありません。

 ●エボラ出血熱という猛毒ウイルスに冒され死にかけていた登場人物が、ワクチンを打ってほどなく元気回復。
  →併発しているはずの臓器不全はどうなるのか?

 うんざりするほど、活字やスクリーンで何度も繰り返されてきた物語ですな。誰かが、物語を面白くするためにでっちあげた話を、次の誰かが本当だと思い込んだんでしょう。それをまた誰かが……というふうに、連綿と創作物から学び、無自覚に書かれ続けているわけです。

 作り手が、作られたものから学んでいると、こういうことになる。専門知識のように思えても、作者のフィルターを通ったものに資料的な価値はまったくないと思っていたほうが無難です。
 これは、ファンタジーなどのセリフに関しても言えることで、文語調で決めたければ手近なファンタジー小説を参考にしたりせず、福田恆存訳のシェイクスピアあたりを参考にするのがよろしかろうと思います。

 おや、救助隊が来てくれたようです。どうやら、パートナーもわたしも助かりそうです。指先が痺れてきたときは、もはやこれまでと観念してしまいました。ついうっかり、パートナーの傷口をナイフ切り裂き急いで口で吸ってしまった自分の愚かさを呪いながら。
 無自覚なリサイクルは命取り。お互い、気をつけてまいりましょう。あ、痺れが全身に回ってきたようですよ。ちょ、ちょっとこれは危険な状――。






●『ディープ・ブルー』はプロモーション映画だった!?● 8月21日


 ナレーションが津嘉山正種さんと知ったとき、期待度は200パーセントアップ。渋い声に酔いながら画面に集中できるなんて夢のようだ、とわくわくしながら『ディープ・ブルー』の上映開始を待ちました。

 音楽は最高。日本語ナレーションにも満足。しかし、内容については個人的にはがっかりしました。
「誰も見たことのない世界を見せてあげよう」という横柄なキャッチのわりには既視感全開の映像が、全編にわたって繰り広げられていたからです。

 覚悟はしてましたよ、もちろん。この作品のオリジナルである、50分8話からなる『ブルー・プラネット』をNHK教育テレビで見ていましたからね。勝手な思い込みであることは重々承知していますが、未公開フッテージと編集の妙を楽しみにしていました。
 それなのに、見たことのある映像をテキトーにくっつけただけの代物じゃありませんか。おまけに、スタンダードサイズのビデオ映像をむりやりビスタサイズにしたため構図が崩れてしまい、「ナンデスカコレハ?」の画が続出。
 たとえば、アホウドリが飛びたつショットで海面を蹴る水かきが画面から切れてしまいダイナミズムが大幅ダウン、望遠の映像が多いため画面が窮屈きわまりないなど、テレビのために撮られた映像を映画にするには無理があることを痛感しましたね。
 こまかいことを言えば、白っぽいバックにイルカの背びれが並ぶようなコントラストのきついショットではビデオ特有の輪郭が残っていたり、珊瑚の緻密な造形にモアレが乗ったりと、制作者の怠慢が浮き彫りになっておりました。劇場公開するんだったら、コンピュータで修正をかけたりすべきでしょう。

「そんなことしたらドキュメンタリーじゃない。素材には手を加えるべきではない」という意見もありましょうが、それならあのSEはなんですか? 5000メートルの深海で、あんな音が収録できたとは思えませんな。
 最初から映画としての企画を立て、すべて絵コンテどおりに撮影していった『WATARIDORI』のほうが、映像作品としては一枚も二枚も上手で、芸術の域にまで達していました。
 まあ、『ディープ・ブルー』は科学啓蒙映画としては及第点レベルでしょう。この映画との出会いがきっかけになり、子供たちの幾人かが、科学の道に進んでくれればめっけものです。

 けっこうヒットしているようですから、そのうち『ディープ・ブルー』DVD−BOXあたりが出ると睨んでますよ、わたしは。『ブルー・プラネット』8巻同梱で2万5千円くらいかな。そう考えると、BBCアーカイブ再利用のためのプロモーション映画としては上出来でしょう。
 音楽はすばらしいので、MTVとして楽しむのもひとつの方法かもしれませんな。

 最後にひとつ。「シロナガスクジラの個体数が激減したうえ、年々住処を追われている」云々というナレーションはいかがなものか。
 それを言うんだったら、乱獲したのは誰であるかを説明すべきでしょう。捕鯨国に対する思わせぶりなあてこすりには、ずっこけてしまいました。映画に再編集される過程で、オリジナルのテレビ番組にあった志が跡形もなくなった希有な例として、『ディープ・ブルー』は名を残すことになりましょう。




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