●2004年1月


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●見あげてごらん● 1月1日

 あけましておめでとうございます。

 メールで年賀状を送るようになってから、ずいぶん楽になりました。
 なによりも、資源の無駄づかいがかなり解消されるのがうれしい。
 しかし、手数は増えてますよね、確実に。挨拶を書きはじめると妙にノッてしまって、1通に10分も20分もかかったりして……。

 今年の年賀状では、ネット空間は宇宙ではないかということを書きました。
 ネットサーフィンということばの影響でしょうか、ネット空間は海原にたとえられがちですね。
 しかし、そんなにのぺっとしたものではないような気がするんです。

 つぎつぎに星が生まれ、そして死んでゆく。それなのに宇宙空間は膨張しつづけている。
 ほら、ネット空間はこれとそっくりじゃありませんか。
 サイトそのものが太陽系だとしたら、ホームページは太陽、サブページは惑星、新ブラウザウインドウは衛星でしょうか。かつての「侍魂」のようなサイトは超新星でしょうか。
 サーバは銀河にたとえることができるかもしれません。

 こんなことを思いついたのは、年末にリンク集をつくっていたときのことです。
 わたしがふだん利用させていただいているサイトだけでは手薄なうえ偏ってしまうため、検索をかけていろんなサイトを訪れてみました。
 そうしたら、あるわあるわ、宝の山が。
 よくこんなことまで……と溜息が出るほどの知識の集積が、ネット空間のいたるところに存在するわけです。まさに、綺羅星の如く。

 しかし、たいへんなことに手をつけちゃったな、という思いもよぎります。

 Web Publishing AZUSAをご利用いただいている作家のかたから「○○についてくわしいサイトを知りませんか」と聞かれたのが、そもそもの始まりでした。
 探すお手伝いをしてはURLをお伝えしていたのですが、需要は増すばかり。
 問われるよりまえにリンク集をつくってしまえば楽じゃないか、と考えてしまったんですね。

 ところが、依頼もないのに探しはじめると、これまたきりがない。森羅万象が調査対象になってしまいますからね。
 検索ワードにヒットしたサイトに片っ端から当ればいいや、という底引き網漁法のような考え方が間違っていたんです。量と質をとりちがえていたわたしが馬鹿でした。
 ネット空間は、海ではなく宇宙であることを思い知りましたよ。

 効率的な方法なんかありません。地道な努力とほんのわずかの幸運。
 ほらね、まるで宇宙開発じゃありませんか。
 わたしの望遠鏡はまだ解像度が低く、全宇宙を見渡すにはほど遠い状態ですが、時間をかければなんとかなりそうです。

 そんな「リンク文殊舘」ですので、あたたかく見守ってやってください。
 こんなサイトあるよ、なんていう情報をお寄せいただければ、とてもありがたいな、なんて「わずかの幸運」に期待しているわたしはスペースカウボーイ失格ですね。

 では、本年もひとつよろしくお願い申し上げます。






●まぜるな危険● 1月12日

 小学校での国語教育のありかたを、文化審議会の国語分科会というところでいろいろ考えているそうです。新聞にそう出てました。
 まあ、そんなことはどうでもいいんですが、おどろいたのは、審議の対象となっている「漢字学習」の実態について。

 小学生が学ぶ常用漢字は1006字なんだそうです。常用漢字は現在1945字ですから、約半分というところでしょうか。しかし、くだんの国語分科会が漢字指導について、それじゃいかん、常用漢字のほとんどが読めるようにならなければ、という報告書の素案を出したそうです。

「読める漢字を増やすには『心ぱい』『せい長』『こっ折』などといった教科書の交ぜ書き表記をふりがなを活用して『心配』『成長』『骨折』と表記し、早いうちから漢字を目に触れさせることが大切」

 びっくりしましたね。小学生は、このようなむちゃくちゃなまぜがきで漢字を、日本語をおぼえているのですね。
 そういえば……。と急に遠い目になってしまいましたが、わたしたちだってそういう教育を受けてきたことをぼんやりと思い出しました。習字も、まぜがき上等でやってきましたよね。

 しかしねえ、なーんか違和感をいつも感じてましたよ。
 たとえば「こっ折」。
 骨という漢字の読みは「ほね」「こつ」でしょ。「こっ」なんて読みません。「折」とくっついて熟語となり、「こつせつ」の音が詰まって「こっせつ」です。「骨折」という語があって、はじめて「こっ」という“音”になるわけです。
 骨という字を習うのはまだ先だからとりあえず音だけでも、ということで「こっ折」なんて教え方になるのでしょうが、それなら国語分科会の素案のように、ふりかなを打てばよろしい。

 でもね、小学生はけっこうコミックなどで漢字を目にしてますよ。
 ネーム(ふきだし)のすべての漢字にふりかなをつけた、いわゆる総ルビですから、音読み訓読みばっちりです。
 そういえば、教室の書取よりも先にコミックで漢字をおぼえたような記憶が、ふたたびぼんやりとうかんできました。

 小学校の漢字指導については文化審議会にがんばっていただくとして、この記事を読んでいて連想したのが、一部の新聞社の表記ルールです。
 さすがに「ら致」なんて書くようなことは少なくなりましたが、「愛きょう」「苦もん」「混とん」「破たん」など愉快な語がならんでますな。

「政局混とん」という見出しを、ついつい「政局まぜとん」と読んでしまう人も神戸のほうに多いかと思います。神戸方面では「〜しとる(〜している)」を「〜しとん」と言います。「混とん」を「混ぜとん」とうっかり読みあやまることだってありましょう。
 冗談はさておき、新聞のまぜがきには自縄自縛の観があります。

 明治35年に発足した国語調査委員会は、名称や委員構成を変えながら国語改革案を建議してきました。大正期から委員に加わり、多数を占めた新聞関係者が漢字制限を強く訴えたんですな。
 なぜか? 漢字の数が多いと紙面づくりに時間がかかるからです。当時は活版印刷で、植字工が一字一字ひろっては版を組んでいました。漢字が多ければ、スピードが売物のメディアの名が泣くというわけでしょう。

 終戦のどさくさに乗じて、ついに昭和21年11月5日、国語審議会は「当用漢字表」1850字を答申。同月16日、内閣訓令および告示交付が出されました。官庁の文書と学校教育はこれによらねばならぬということです。
 この当用漢字は1981年に「常用漢字」と呼称があらためられ、マイナーチェンジを繰りかえしながら現在にいたるというわけです。

 ごぞんじのように、新聞が電子組版となってひさしいのに、なぜ、常用漢字にこだわるのか。植字工などいないのに。キーを叩くだけで出せるのに。
 それに、新聞は官庁の文書でも文部科学省の関連団体でもありません。常用漢字にはしばられないはずではありませんか。
 しかし、過去のいきさつがある。
 日本語に、とりかえしのつかないダメージを与えてしまったことへの慚愧の念が――あるわけはありませんね。
 もし、そんなものがあったら、国民に詫びをいれたうえで、かつてあった日本語、そして漢字を復活させているでしょうしね。

 憲法改正反対うんぬん、近隣諸国へのお詫びうんぬん等論じているひまがあったら、常用漢字改“正”推進、国民へのお詫び等をマジに考えていただきたいものですな。
 国語の改革というのは、文化的な遺伝子操作のようなもので、なにが飛び出すかわかりません。まぜがきのような、奇形が発生することだってある。
 くわばらくわばら。
 新聞を信じるな、と強く思うゆえんです。
 まぜがきなんぞを真似してると、おつむの程度を疑われかねませんよ。
 一部の新聞は、心してお読みになることをすすめます。

 では、また。






●もう恋なんて● 1月28日

 ここひと月ほど、ちょっとしたなりゆきから求人誌の編集にたずさわるようになりました。

 原稿を読んだり、取材したりしてびっくり。どの企業もこの不況下にあって人手不足という信じられない状況になっているわけです。とくにベンチャー企業にその傾向が強いようです。
 というのも、一から人材を育てる時間もカネもないので、経験者が欲しいという。むしがいいといえばむしがいいんですが、能力は正当に評価するといいますから、だんだんアメリカっぽくなってきています。ビジネスの正しい在り方じゃないかかな、と思いますね。

 それはさておき、って長い余談でしたが、取材していて魅入られそうになることがたびたびあります。
 インタビューに入るまえは「社運をかけてるそうだけど、こんなアイデアは昔からあるんじゃないの?」なんて思っているものの、プランを聞いているうちに、「この会社は伸びるね! 社員にしてもらってもいいね!」なんて思ってしまっている自分に気づいてドキリ。
 今月中に株式上場します、なんてきっぱり言われた日には、株を買ってもいいかなと本気で考え込んでしまいます。

 惚れっぽいんでしょうな。
 しかし、ものを書くということにおいて、惚れっぽさは重要だと思うんですよ。
 取材を終えて、ライティングに取りかかるときのテンションの高さがちがいます。企業の思いを自分のことばで読者に届くように工夫もこらします。

 これは小説だって同じでしょう。ストーリーに惚れる、登場人物に惚れる……。そんな思いが筆を先へ先へと進ませる力になるもんです。
 自分の内側にあるのに、外側にあるように見えるもの――そうでなくては惚れることはできませんよね。

 惚れたはれたでなく、惰性で書きつづけることはもちろんできますが、「あ、こいつ読ませる気がないな」と読者に見破られてしまいます。
 一所懸命書いてるのにそれはあんまりだ、とおっしゃる作家もいらっしゃいましょうが、そんなかたほど、一所懸命書いている自分に惚れてたりするから話はややこしい。

 書くのがつらい、と思ったら、ちょっと筆をおいて、その作品に惚れている自分をさがしてみてください。見つかったらめっけもの。見つからなかったら思いきって寝かせてみるのもひとつの手です。別居状態とでも言いますかね。
 永遠に別居になってしまうかもしれませんが、現実社会のように身内に迷惑がかかるわけでもなし、ま、縁がなかったとあきらめるのも大人の態度というものでしょう。

 わたしなんぞは惚れっぽさの度が過ぎるようで、取材先で株式上場間近の話を耳にしたとき咄嗟に言ってしまいました。
「その株、ぜひ売ってください! いま買います」
「あ、いや、ここでは売れないんですよ」と取締役。
「だいじょうぶです。インサイダー取引の件は口が裂けても言いません」
「そんな人聞きのわるい……」と担当部長。
「お願いします。一株でも二株でもいいんです」
 室内の空気が微妙に変化しました。
 そうでした。株は一株単位では買えません! さらに、証券会社からしか買えません!
 好きな女の子といい雰囲気でトークを繰り広げていたのに、最後の最後に暴言失言で何度墓穴を掘ってきたことか……。

 もう恋なんてするもんか、と小石を蹴るおっさんひとり。

 この項、続きません!








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