●2003年12月


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●インタビュー雑感● 12月9日

 ウェブの世界に年の瀬なんて関係ないようですけど、なんとなく忙しくなりますねえ、やっぱり師走は。
 ここのところ、ずうっと「著者に訊け!」の記事にかかりきりで、随筆からすっかり遠ざかってしまいました。

 最近の「著者に訊け!」は、ちょっと変わった手法をとっています。著者に質問票をお送りし、その回答から対話形式にリライトしているんです。本来なら、面と向かってお話をうかがうべきなのですが、オフラインではちょっと……。というかたもおられるのであろうと慮り、このような手法をとらせていただいているしだいです。
 いえいえ、けっして出張費が出ないわけじゃありません。米原くらいまでは余裕で出せるんですよ(ってどこにもいけませんね、これじゃ)。

 しかし、対話形式に整形していくというのは、たいへんですけどおもしろい作業でして、ほんとに対談しているような気になることがたびたびあります。
 なにぶん、文章とセンスで勝負しているかたがたばかりなので、回答の文章がまたふるってますよ。
 手を入れるなんてとんでもない。まんま使わせていただいてます。

 これまで、質問票形式で記事になったのは黄秋生さんからこちらのかたがたなんですが、同じ答は一つもありませんでした。
 小説を書く目的も違えば、精進の方法も違う。
 つまりは、創作は十人十色。創造に王道なしということでしょうか。

 先日、ネットをふらふらと渡り歩いておりましたら、ある文芸サイトにたどり着きました。
 出版社主催の新人賞などにずっと応募していらっしゃるということで、落選した作品そのものと戦歴(何次予選まで通過したかというデータ)が掲載されていました。
 職業作家になるんだという執念というか意地というか、そういう情念がむんむん。これも創作のひとつのありかたなのでしょうが、空回り感と悲壮感が伝わってきて、息が詰まりそうでした。
 気楽におやんなさいよ、というメッセージを残そうかとBBSまで行ったんですが、よけいなことだと思い直して立ち去りましたけどね。

「著者に訊け!」にご登場いただいたかたがたは、いずれも楽しんで書いてらっしゃる。というか、オンライン作家のほとんどのかたは楽しんでますよね。かなりの実力をおもちなのに職業作家になる気はない、というかたもいらっしゃることを知ったときは驚きました。

 ネット以前の文学青年は、職業作家になるために書いていたようなもんでした。出版されたらきっと売れるんだ、という妄想にとりつかれていた彼らは、いまどうしているんでしょうか。

 楽器でもひくような感じで、オンライン作家たちは作品を書き続けているようです。ライブハウスを満員にしたいとかCDデビューを果たしたいとかじゃなく、音を奏でるのが楽しい、きのうより多くの音が出せるようになった自分が好きだ、というイメージがわくんですけどね。

「著者に訊け!」の話が妙なところに来てしまいました。
「100の質問」などでは読めない、オンライン作家たちの素の文章を立て続けに読ませていただいたからでしょう。
 年内になんとか2本は上げられそうな予感。お楽しみに。

 今回はヤマなし、オチなし、意味はちょっとだけあったかもというていたらく。
 師走はこんなもんです。
 では、またの機会に。






●ながい休みに読む本は● 12月27日

 盆暮れのまとまった休みをまえにすると、つい意気込んで本を買い込んだりすることがありませんか。
 ひまつぶしにぴったりの本を買えばよさそうなものを、妙に気合が入ってるものだから、ふだん読まないようなたぐいの本を選んでしまう。休み明けの自分は、もう休みまえの自分ではない、なんてうきうきしちゃうんですよ。

 ところが、溜まっていた雑事をのんびり片づけたり、いつもより早めにお酒をのんだり、ビデオを見て夜更かししたりでひもとけず、買ってきたときのままの本を眺めては、ああおれはだめな人間だ休みまえとなんら変わっちゃいない、と軽い自己嫌悪におそわれたりします。

 あやまちはくりかえしませぬ、と思うこと数十回。ついに長い休みにぴったりの本を見つけました。ことわっておきますが、特定の本ではありませんよ。ジャンルというか傾向というか、そういったお話です。
 わたしの挫折をふりかえってみると、

・科学啓蒙書などを選び、新しい知識を仕込もうとしていた。
・読破、というノルマをみずからに課していた。

という2点がプレッシャーとなって、本を遠ざけていたんですな。
 なんのための休みでしょうか。これでは仕事の延長ではないですか。

 しかし、活字を読むよろこびは味わいたい。
 それなら小説あたりがいいのではないかと思ったんですが、おもしろければのめりこんでしまって雑事ができない、つまらなければいつものあやまちをくりかえしてしまいます。
 空いた時間に読めて、満足感も得られるもの。ついでに新たな知識なんぞも身につけばありがたい。
 まったく、いい気なもんだ思いますよ、われながら。でも、あったんですよ、そんな本が。
 もったいぶらずに発表しましょう。

 それは、原典。

 お約束の辞書によれば、原典とは、「よりどころとなる、もとの書物。」とのこと。つまり、解説本のもとになった書のことですね。『いまに生かす聖書の知恵』という本が解説本だとしたら、原典は『聖書』です。厳密なことを言いはじめると、「旧約聖書」はアラム語とヘブライ語、「旧約聖書続編」と「新約聖書」はギリシア語で書かれたものが原典なんてことになりますが、べつに学問をするわけではありませんから、日本語訳でじゅうぶん。
『養生訓』だって『コーラン』だって『菜根譚』だって『漢書』だっていいんです。解説本がたくさん出ている原典ほど、あとの楽しみが大きくなるというものです。

 で、これをだらだらと読む。多くて10日ほどの休みに読破なんてできるわけはありませんから、いたって気楽。ストーリーを追わなくてもよろしいから、いつでも読めて、いつでも中断できます。
 あとの楽しみというのは、解説本にあたること。牽強付会の説ならまだしも、トンデモ本がなんと多いことか。ふつう、「原典にあたる」といいますが、この場合は、「原典を読んで、解説本にあたる」わけです。
 トンデモ本で思い出しましたが、原典そのものがトンデモ本である可能性がひじょうに高いので、けっこう楽しめますよ。

 ただ、気をつけたいのが原典マニアへの転落。数百年、数千年も生き残ってきたというだけあり、原典には魔力にも似た魅力が潜んでいます。これにハマってしまうと、もうほかのものなんか読めなくなりますから、くれぐれもご用心。文庫で出てたりするから、ついつい買っちゃいますもんね。

 原典がなぜこうも長生きなのか、研究する人が出てきませんかね。
 原典の出自、伝播の過程、現状などの側面はもちろん、根幹をなす魅力というかパワーが明らかになれば、原典を書こうという人が登場するんじゃないでしょうか。
「ちょっと原典書いてます」「原典の推敲がたいへんで」なんて、聞いてみたいセリフです。
 しかし、原典になったときには当人はこの世にいないというのが難点ではありますね。




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