●2003年10月


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●タテヨコあれこれ● 10月2日

 だれも待っちゃいないでしょうけど、とりあえず、お待たせしました。
 縦書き横書きを考えるお話、今回で第3弾となります。
 鼎談を開催しようと思っているんですが、なかなか一同に会する機会がとれません。しかたがない、わたしが動きましょう。

 ということで、電話、廊下での立ち話、メールその他の技術とテクニックを駆使して、参加予定メンバーの意識調査をおこないました。
 以下のコメントを鼎談の資料にしたいと思います。いわば言質(げんち)をとったわけですから、鼎談の場で日和(ひよ)るわけにはいきませんよ。

 では、コメントを紹介しましょう。

〔編集部員A〕
「ずっと横書きだったから、どっちでもいいっすよ。最終的には縦書きになる記事も、書くときは横だし。最低、漢数字と算用数字の書き分けさえできてればいいんじゃないかな。印刷物は圧倒的に縦書きが多いって? そりゃそうでしょうよ、日本語なんだもん。なぜ、日本語は縦書きかって? 漢字がかなになったとき、縦書きが主流だったからじゃないんですか。当時、横書きが常識だったら、きっと西洋みたいに横書きになってたと思いますね。別に不便さは感じないし、ぼくはどっちだっていいっすよ」

〔編集部員B〕
「ものによるのではないかと思います。日本の文芸全般はやはり縦書きでしょう。短歌が縦書きで読めますか? 俳句は? 小説は? 社内文書ならまだしも、鑑賞するための文章は、縦書きでないと頭にすんなり入ってこない。横書きのままだと、まだ下書き中かなと思ってしまいます。横書きのワープロを長年使ってきたせいかもしれない。縦書きになって、やっと文章が定着するような気がするんです。これは根拠のないスタイル論かもしれないけれど、ぼくの中では譲れないものですね。日本語は縦書き縦読みっていうのは」

〔通信教室担当T〕
「生徒さんの原稿は、エディタなりテキストリーダーなりで必ず縦書き表示にして拝見しています。横書きのままだと、問題点が見えにくくなるのは確かです。でも、ふだんオンライン小説をブラウザで読むときは横書きです。行間とかフォントとかに気を配ってさえあれば、横書きでも気になりません。要は読みやすいかどうでしょうね。それよりも、最近気になっているのは、タテヨコどっちで執筆されたかということです。微妙にリズムが違うんじゃないかと思うんです。縦で執筆されたものは縦で、横で執筆されたものは横で読むべきじゃないかと感じているんですが、どうでしょうか?」

 うーん。AやBの意見は、明快でいいんですが、T(ほんとはKというんですが、通信教室の“T”としました)の問題提起には虚を衝かれた思いがします。
 リズムときましたか……。余計なことを――あ、いやいや。

 もう、こうなると好みとか伝統とかの問題ではなくなりますね。
 いよいよ泥沼にはまりそうな予感がしていますが、恐れずにどんどん進めてまいります。

 では、また。この項、つづきます。ただし、ちょっと不定期で。






●タテヨコ鼎談開幕!● 10月9日


出席者/編集長(文中H)、編集部員A(文中A)、編集部員B(文中B)、通信教室担当(文中T)

 長らくお待たせしました。ついに「縦書き横書きの真実に迫る討論会」――略して「タテヨコ鼎談」が実現のはこびとなりました。まずは欣喜でございますな。
 わたしの立場はあくまでもMC、進行役、オブザーバーということで……。

A なに言ってるんですか。あんたがこの随筆に書きはじめたんじゃないですか。

H あんた……って、あなた。

B 言質をとるとかとらないとか、威勢のいいことを言ってませんでしたか?

A 日和れないぞ、なんて言ってたよ、たしかこの人。

H この人……!

T 四人で話していきましょうよ。討論会なんていってますけど、三人寄ればなんとやらという程度でしょう、きっと。

H ま、そういうことになりますね。オブザーバーというのは、冗談ですよ。この数日間、いろいろ考えてるんですから、わたしだって。
  さて、Aくんはタテヨコにこだわらないっていうことでしたね。

A パソコン上では、という条件付きで。正確に言うと、モニタ上ではってことかな。書くのも読むのも抵抗はないですよ。

H モニタ上じゃなければどうなりますか。

A ペンを持って書くときは横書き。読むほうでは、文芸書は縦書きがベスト、雑誌はどちらでも可。

B むちゃくちゃというか柔軟というか……。しかし、横書きの小説なんてあるか?

T あることはありますけど、ごくごく少数ですね。雑誌は横書きが増えてますけど。

A 慣れの問題ですよ。行組を考えた、きちんとしたレイアウトができてたら自然に読めるもんなんですって。文芸書はやっぱ縦書きにかぎりますけどね。

B そこが問題なんだよ。レイアウトでクリアできないものなのか?

A ぼく、読むの速いんですよ。浪速の速読王って言われているくらいで。

B おれは亜州速読王と呼ばれている。

T ……なんなんだか。

A ぱーって読んでくときって、一行ずつじゃないですよね。

B わかるわかる、その感じ。その行の文字を追ってはいるけれど、つねに3、4行先の文字が視野に入ってる。読み進んでゆくっていうのは、確認にも似てるな。

A そうなんですよ。横書きの本だとそれができないんです。なぜなんだろ。

B 行の幅にもよるけど、スピードを上げると行の二度読みをしてしまったり、行を飛ばしてしまったりする。視線の動きが行の幅に規定されてるような狭苦しさを覚えるな。「はい、この行おしまい。つぎ、この行はじめ」って強制されてるみたいな感じとでもいうか……。

H B4判縦の本があるとします。この縦幅いっぱいに縦書きの文章が書かれていると、同じ現象が起きませんか? 読んでいる行が掴めなくなったりとか。

B いや、行間隔が適切であるかぎり、それはないと思います。多少、読みづらいでしょうけどね。

A インド・ヨーロッパ語族の文字って、みんな横書きでしょ? 読んでて行飛ばしとかしないんですかね。

B 日本語の横書きと一緒には論じられないだろう。あっちは表音文字、こっちは表音文字と表意文字が混在してるんだから。文法の問題だってあるだろうし。

H 言語学の領域に入ってしまいそうですから、日本語にしぼって考えましょう。なんだか、いま、崖っぷちに立たされたような気分でした。くわばらくわばら。
  今回は生理的な部分を話に終始することにします。Bくんはどうです? モニタ上と印刷物による差はありますか。

B 先日も言ったように、モニタ上の横書きは不完全な感じがします。

T 不自然じゃなくて、不完全?

B うん。不安定と言ってもいい。下書き感覚のね、修正前提の文章という印象かな。モニタ上でも縦書き表示にすると、ぐんとましになる。だから、オンライン小説をきちんと読む場合は、ページのテキストデータを抽出して、テキストリーダーなりブックビューアなりで読んでるよ。

H あ、わたしもそうです。横書きじゃ字面が見えてきませんもんね。

B 縦書きだと、誤字がよく見えます。

H で、手書きならどっち?

B メモは横書き。まとまった文章や手紙は縦書きです。

H なるほど。Tさんはいかがですか。

T Bさんと同じ理由で、生徒さんの作品は縦書き表示で下読みをします。精読の際はプリントアウトしたものを、もちろん縦書きで読みます。あとはどちらでも。オンライン文芸サイトの場合、管理人の意図を尊重するためにブラウザで読んでいます。
 文芸書はやはり縦書き。雑誌も縦書きのほうが落ち着きますね。ただし、情報誌は横書きのほうがいいかも。電話番号の縦書きは読みにくいですから。

H いろいろですな。人それぞれってことでケリというわけに――。

A、B、T いくわけないだろ!

H ということで、この項、ずっと続きそうです。不定期で。






●原稿用紙換算の罠● 10月17日

 タテヨコ鼎談がややこしくなりつつあるときに、またもやややこしい話題を持ち出して恐縮ですが、みなさんは文字数のカウントをどうしてますか?

 だいたい次の方法でしょうね。

 ・バイト数から換算する。
 ・ワープロソフトの文字数カウント機能(空白含む)を使う。

 では、四百字詰原稿用紙に換算するときはどうですか。
 上記の方法でカウントした文字数を400で割る、というかたがほとんどではありませんか?

「4000字だから、ちょうど10枚。うん、ぴったり枚数制限内だ」
 と安心しているようでは、まだまだ。
 ここは声を大にして申します。甘い! と。
 枚数制限のきびしい新人賞などに応募したら、確実に失格または割を食います。

 まず、バイト数から出した数字は空白含まずですから、正味の文字数になります。空白行や空白マスはカウントされません。当然、4000字は原稿用紙10枚ではなくなりますね。もっと増える。
 では次に、ワープロソフト(ここではMS WORDを例にあげます)の文字数カウント機能がはじき出した文字数ではどうでしょうか。空白含むだから問題ないと思われるかもしれませんが、「ページ設定」で20字×20行にしてみると、やはり10枚を超えます。

 なぜこんな現象がおきるのか。お忙しいみなさんになりかわって、いろいろ実験してみました。編集長とはいえ、その実体は留守番要員ですから時間はたっぷりあるんです。
 サンプルは、当サイトのライブラリーから拝借した約86枚の作品。オリジナルは原稿用紙で86枚と7行――枚数でいうと87枚ですね。
 これをWORDで読み込み、「ページ設定」を20字×20行にすると、もちろん、ページ数は87ページになります。では次に、WORDの「文字カウント」をクリック。

 文字数(スペースを含めない) 30,592
 文字数(スペースを含める)   31,046
 段落数                402
 行数                 1,713
 全角文字+半角カタカナの数 30,592

 という結果が出ました。
 スペースいうのは空白のことでしょう。スペースを含めた文字数こそ原稿用紙の枚数換算に使える数字のようです。
 計算してみましょう。ドラムロール!

 31,046÷400=77.615

 10枚も少ないってどういうことですか?
 うーん、おかしい。
 つぎに、空白の計算。

 31,046−30,592=454

 空白がたったこれだけですか? サンプル作品の空白を数えてみました。454文字なんてあっという間。まだまだ小説はつづいています。

 WORDのスペースの概念が変なんですよ、きっと。
 ついでに行数。これは、論理行といわれるやつで、改行で1行と数える方法ですね。指定行数で折り返して1行という考え方ではありません。改行がくるまで1行。
 だんだんわかってきましたよ。WORDのいうスペースとは、1行(論理行で)の中の空白を指すんです。段落開始の空白とか、感嘆符・疑問符のあとの空白とか、そんなものしかスペースとみなさない。

 だから、原稿用紙に換算すると確実に増えるんですな。
 原稿用紙換算には、WORDの「文字カウント」の結果は使えないということになります。
 WORDでは小説が書けないと言っているわけではありませんよ。念のため。

 では、原稿用紙換算枚数をシビアにチェックするにはどうするか。
 先に書いたように、「ページ設定」で文字数と行数を原稿用紙に合わせ枚数をみる。リアルタイムに枚数の増減を知りたいなら、原稿用紙の文字数と行数で書いてゆくしかないでしょう。
 あ、これはWORDで執筆する場合ですね。エディタなどを使ってプレーンテキストで書いてるなら、フリーソフトの「原稿用紙カウンター」がお薦めです。
 くわしくはこちらhttp://www.vector.co.jp/soft/win95/writing/se206996.html?gをご覧ください。

 このソフト、実に使い勝手がいいんですよ。ファイルをアイコンにドラッグ&ドロップするだけで枚数がばっちり出るし、執筆中、開いたままにしておくと30秒ごとに現在枚数を知らせてくれるし、禁則文字はもちろん、ぶら下げにまで対応しています。

 いやあ、至れり尽くせり。しかし、ちょっとだけ註文があります。
 編集者の常套句が出るようにしてほしかった。それも文字ではなく音声で。
 どういうことかと申しますと……。

 起動したら、きょう書くべき枚数を入力してやるんです。で、書き上げ予定時刻をセットする。
 最初のひと文字を入力したとき、
「先生、お原稿をいただきに上がりました」(元気な明るい声で)
 やがて、タイムアップの時刻とこれまでの入力頻度を比較して、

 書けてるとき:「先生、あとひと息です。がんばってください」(心のこもった口調で)
 書けないとき:「あれ? ぜんぜん進んでませんね」(心配げな声で)

 さらに時間が進むと、
 書けてるとき:「うちは先生でもってるようなものですよ、ホント」(軽すぎる感じで)
 書けないとき:「やっぱり連載はご無理のようですね」(暗いトーンでぼそぼそと)

 タイムアップ。
 書けてるとき:「ありがとうございます。先生にお願いすれば間違いなしです」(明るく心をこめて)
 書けないとき:「あーあ、原稿落ちちゃったよ。どうしましょ」(冷たく)

 オプションとして、
「もう、わたしにはかばいきれませんよ」
「枚数がかなりオーバーしてます。これじゃ分載になりますね」
 などがあると臨場感はいやがうえにも高まります。

 このソフト、名付けて『大いなる助走』。
 ……売れませんよね、気が滅入ってしまって。


 今回は気骨が折れました。モニターに指先を這わせて空白マスを数えていた自分が不憫でなりません。
 しかしねえ、公募する出版社は上のような事情がわかったうえで、募集要項を書いてるんですかねえ。枚数ではなくて、むしろ「○バイト以上○バイト以内」というふうにしてみてはどうでしょうか。
 あ、それだったらWORDを使っている人が不利になるかも。プレーンテキストというものを知らなければ、ワードドキュメントのサイズで判断するおそれがありますもんね。

 書き手にとってはかなり便利になったとは思いますけど、原稿用紙なんか見たこともない西洋人がつくったハードやソフトには、まだまだ悩まされそうです。






●タテヨコ鼎談閉幕断念● 10月25日


出席者/編集長(文中H)、編集部員A(文中A)、編集部員B(文中B)、通信教室担当(文中T)

H 前回は生理的な面から、みなさんの意見をうかがいました。Bさんのように情緒的な見解もありましたが、大方の意見としては縦書きのほうが読みやすい。3、4行先が視野に入っているという安心感というか安定感というか、そんなものでしたね。

T 縦書きなら先の行が見えるのに、横書きだとなぜできないのかな。

B 視野の問題? ワイドテレビは水平方向に長いから迫力があるけど、見ていてなんか散漫な気分になるよね。

T 最初、どこ見ていいかわからないっていうか……。

H え、そうですか? よく映画館に行きますけど、ワイドスクリーンのどこを見りゃいいのか迷ったことはありませんよ。いやでも動くものに目が吸い寄せられます。以前、シネマスコープは左上を真っ先に見るのがツウだなんていう人がいましたが……。

A そうじゃなくて、テレビの話。視野いっぱいのスクリーンと比べてどうするんですか。

B 中途半端なサイズだから、部屋を暗くしたりテレビの後ろの壁を黒っぽい色にしないと、急には集中できない。

H うち、まだワイドじゃないんですよ。

A アップなら別だけど、ロングショットのときはちょっと焦りますよね。

T なぜなんだろ?

A 視野の問題かな……ねえ、Bさん?

B 人間の視野は広いというけど、遠くを見るときと近くを見るときとでは方向が違うんじゃないかな。

T、A ……?

B 遠くを見るときは水平方向の視野になり、近くを見るときは垂直方向の視野になるということ。だから、近くにあるテレビが水平方向の視野を要求すると目が迷う、と。

H 『スターウォーズ』シリーズのオープニングみたいに、遠方でスクロールするのだったら横書きでも読みやすいというわけですな。黄色い字で。

A、B、T 色は関係ないでしょ!

A なんかだんだんわかってきましたね。でも、だったらなぜ全世界で縦書きが主流にならなかったんだろ?

B さあ。

A さあっ……て。そんなんでいいんですか。

B 日本語にしぼって考えようって編集長が言ってただろ? ワイドテレビの例を持ち出したのはわるかった。すまん。

H 話が振り出しに戻ってませんか?

A しっかりしてよ編集長。MCとか進行役とか言ってたのは誰よ、いったい?

H ふふふふ。やはりきみたちには荷が重すぎましたね、この話題は。

B あんたが振ったんだろ。

H ふふふふふ。こういうことになるんじゃあないかと思って、東に住む賢者――人呼んで“東方の一賢人”に早馬を出したのよ。

A まんまじゃん。

T それに時代劇はいってるし。

H ともかく、狷介なご意見番とも碩学の論客とも呼ばれるおかたから、このようなメールをいただきました。ご紹介しましょう。


    ********************************

後漢に紙が発明される以前、東洋で用いられた記録メディアは竹簡あるいは木簡でした。紙が発明された後も、唐代頃までは利用されていたようです。日本では竹簡は出土せず木簡が主ですが、中国では楚(湖南省)等を中心に竹簡が用いられていました。

「韋編三絶」の故事が示す通り、これらは革紐で綴じて用いました。尤も、書くときに綴じてあると紐が邪魔ですし、文字数に過不足があると無駄も出ます。商工業の発達した戦国時代ならまだしも、都市国家社会であった春秋時代に竹簡/木簡は貴重な財産でしたから、バラのまま書いて、必要な分量ごとに後で綴じたはずです(これこそ編纂であり編集です)。

綴じた竹簡や木簡は丸めるか折り畳むかして収蔵されますが、読む場合には当然開きます。この際、人間の手は上下でなく左右についていますから、竹簡/木簡も左右に開くのが自然です。巻き寿司を作る巻き簀を考えれば分かるように、このとき一本々々の木簡としては縦長に配置されます。ですから竹簡/木簡に記録される文字は、横書きでなく縦書きが読みやすい道理なのです。

このような古代中国における記録メディアの制限が、東アジアにおける縦書き文化をつくる要因となったことが考えられます。この説に難点があるとすれば、竹簡以前の甲骨文や金文が縦書きである理由を説明できない、ということです。大したことでないとはいえ、えらそうに一席ぶった後で部下などに指摘されると腹も立ちます。相手は飲み屋のおねえちゃん程度にとどめておいて下さい。相手も商売ですから気づいても看過してくれるはずです。

    ********************************


H まさに快刀乱麻! どうですか、ほぼ答が出たようですな。わたしごときがことばを補う必要もないでしょう。

T 本人も書いてらっしゃるように、竹簡以前の問題はどうなりますか。

H 「古代中国における記録メディアの制限が、東アジアにおける縦書き文化をつくる要因となったことが考えられ」るということですから、そこのところだけを考えていきましょうよ。

A 文字の起源までいっちゃうとたいへんですよね。まだ解読されていない文字だってあることだし。

B インダス文字とかね。

H というわけで、書きようは文化なんですよ。わたしたちは縦書き文化。だから、横書きでは具合がわるい。縦書きでも平気だという人は、縦書き文字の横書き文化に染まったというか、慣れたというか、そんなもんじゃないでしょうかねえ。

T なるほど。じゃあ、いずれは文芸書も横書きになっていくのかもしれませんね。

B 本という形態すらなくなったりしてね。

A 活字はモニタで読むのがあたりまえ……か。

H そうなると、活字という呼び方はしないでしょう。あれは、「活版印刷の字形」ということから来てるんですから。活版から写植、電算写植を経てDTPですから、すでに活字とは言えない。活版印刷は、冠婚葬祭の案内状などの一部の印刷物に使われている程度ですからね。
  しかし、なんですねえ、モニタで読むのって疲れませんか、紙にくらべて。

A あーあ、言っちゃった。

H え?

B また厄介なことを言い出したってことですよ。

T モニタと紙の比較になっちゃうでしょ?

H あ。わたし、ひょっとして墓穴を掘ってしまったということですか。“東方の一賢人”のおかげで美しくまとまりかけてたのに。

B 墓穴というより、地雷を踏んだな。

A もう帰りたい。

H この項、もうちょっとだけつづきます。





●背中はどっちだ● 10月28日

 先日、弁護士事務所にお邪魔する機会を得ました。
 近所に地方裁判所があるせいか、その雑居ビルに入居しているのはすべて弁護士事務所。レジャービルの弁護士事務所版ですね。といってもハシゴする人はいないんでしょうけどね。

 事務所の片隅の応接セットに通されたんですが、こんなところに頻繁に来れるものではありませんから、わたしの観察眼はいやがうえにも光ります。
 といっても、とくに変わったものはありません。整頓された執務机にはペン立て、パソコンモニタ、キーボードとマウス、「既決」「未決」と書かれた書類ケース……ありふれた事務所の光景ですが、一点だけ普通の事務所と違うのは壁一面の書棚でした。
 判例集、六法全書はもとより、法律関係の雑多な書籍がぎっしり詰まっていました。

 勉強熱心な弁護士だと感心したのもつかのま、ちょっとした違和感をおぼえて立ち止まってしまいました。
 本の収納の仕方がちょっと奇妙なんです。
 たいていの本が外箱入りでしたが、箱の背をこちらに向けるのではなく奥に向けてしまってある。
 つまり、書籍本体の背がこちらを向いているわけです。全部、そう。
 なぜ、そういう収納になるのでしょうか。弁護士が長電話を終えるのを待ちながら、考えてみました。


 仮説その1「取り出しやすいから」。いわばここにある本は実用書ですから、すっと取れるようにしてある。

 仮説その2「個人的な好み」。本体の背の色のほうがカラフルだし、箔押しの背文字が重厚なテイストを醸すから。

 仮説その3「閉所恐怖症だから」。外箱の背をこちらに向けると平面が並んで圧迫感がある。壁が迫ってくるようでいやだ。

 仮説その4「古書店に高く売りたい」。タバコの煙などで外箱の背が変色すると、いざ売るときに買いたたかれるから。


 うーん、どの仮説にも説得力がありますな。しかし、すぐに崩れる仮説でもあります。反論はそれぞれの仮説についてのものです。


 反論その1 書棚にはぎっちり詰めてあるから本体だけ簡単に抜くのは至難の業です。おまけに本体はパラフィン紙やビニールをまとったままのものが多いから、さらに抜きにくい。指の甘皮を傷つけてしまいそうです。

 反論その2 老朽化しているうえ、無味乾燥な事務所で見栄をはったってしょうがありません。実務能力が弁護士の価値ですからね。

 反論その3 だったら執務机のそばに書棚を置かなければいい。

 反論その4 その事務所は禁煙でした。さらに、窓は北向き。日中というのに、ブラインドを下ろして螢光灯をつけています。タバコの煙でも日光でも外箱は焼けません。


 うーん、困った。なんでこんな並べ方をするんだろう。
 いえいえ、変だとかおかしいとか異常だとか言う気はないんです。たしかに、こういうふうに収納する人はいますよね。でも、書店でも図書館でも、外箱の背をこちらに向けて陳列展示してあるでしょう? それとも、わたしが変なんでしょうか。
 実は、所有の証として外箱入りの本はこういうふうに並べるものだというしきたりがあるのでしょうか?
 ちょっとしたカルチャーショックですよ。これまで実を食うものだと思っていた果物が、ほんとうは皮を食うのだということを知らされた衝撃!

 考えはじめると、もうそれしか頭にないという悪い癖が出て、しだいに落ち着かない気分になってきました。
 そのとき、待たせてすまない、手刀(てがたな)を切りながら向かいのソファに腰を下ろしました。
 用件よりも早く、わたしは件(くだん)の疑問をたまらず口にしました。
 弁護士は首をねじって執務机のあたりを一瞥し、首をかしげました。
「だって、本というのはこちらに背が向くようにして収めるもんだろ?」

 なんですと! そういう見地もありでしたか。
 箱に入っていようがいまいが、本体の背はひとつ。なるほど、真実はひとつ! というわけですね。弁護士ならではの発想です。
 頑ななところはありますが、この弁護士ならだいじょうぶなんじゃないかなと思わせてくれました。

 あれこれ考えずに、疑問があれば訊いてみるにこしたことはありません。
 聞くは一時イツトキの恥、聞かぬは末代の恥――とはちと違うようですが、まあ、日々勉強ということで。




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